昔の手帳やメモ帳を、久しぶりに引っ張り出したことはあるだろうか。

机の奥や本棚の隅、あるいは段ボールの中にしまったままになっていた何年も前の手帳を開くと、そこには自分でもすっかり忘れていた言葉が残っていることがある。

読みたかった本の名前、読んだ本の感想、そのとき気になった言葉、誰かとの会話、仕事で思いついたこと、やりたかったこと、途中で諦めたこと、手に入れたもの、失ったもの。

今となっては何のことを書いたのかさえ分からないメモもある。

それでも、その文字を見ていると、「ああ、あの頃の自分は、こんなことを考えていたんだ」と思い出す。

不思議なのは、書いたことそのものを忘れていても、そのときの自分まで完全に消えているわけではないことだ。

一行の文章、一つの単語、乱れた文字、途中で切れた文章。

そんなものをきっかけにして、当時の感情や考えていたことが、突然よみがえってくる。

だから、僕は手帳やメモを捨てられない。

そして、Obsidianを使い始めたときに思った。

「この過去の手帳やメモを、全部デジタルに残せたら面白いんじゃないか」と。

ただし、その次に浮かんだのは、もっと現実的な問題だった。

「……これ、全部手打ちするのか?」

そう思った瞬間、かなりげんなりした。

Obsidianを使い始めた理由

Obsidianを使い始めたきっかけは、Xで見かけた「Claude×Obsidianで第二の脳を作る」という記事だった。

それまで僕はGoogle Keepを使っていた。

Google Keepは軽い。

メモを取るだけなら、それで十分だった。

でも、メモが増えてくると、少しずつ物足りなくなってきた。

文章の中に見出しを作りたい。

ここは重要だから分けたい。

この情報とあの情報を後からつなげたい。

そう思っても、KeepではMarkdownのように簡単に ## と書いて文章を構造化することができない。

その点、Obsidianは軽い。

そして、Markdownというシンプルな仕組みを使いながら、文章を自分の好きなように整理できる。

何より、動作が軽い。

「これなら、今までバラバラだった自分のメモを、全部ここに集められるかもしれない」

そう思った。

ただし、最初からObsidianに詳しかったわけではない。

むしろ、使い方を調べること自体が面倒だったので、よく分からないまま触り始めた。

そして、いきなりやらかした。

保管庫そのものを削除してしまった。

幸いバックアップから復元することができたけれど、今思えば、これも僕らしいObsidianの始まり方だったと思う。

分からない。

でも、とりあえず触る。

壊す。

調べる。

直す。

そしてまた触る。

「写真を撮ったらMarkdownになればいい」

Obsidianを使い始めてしばらくすると、別の問題が見えてきた。

過去の手帳やメモ帳だ。

僕はメモを書くこと自体が嫌いなわけではない。

むしろ好きだ。

メモ帳にもこだわる。

筆記具にもこだわる。

サイズや色にも悩む。

どう保管するかにも悩む。

紙に書くことそのものは、今でも好きだ。

でも、その紙に書かれた内容をObsidianに移そうとすると話が変わる。

一つずつ読みながら、キーボードで打ち込む。

タイトルを考える。

タグを考える。

Markdownの形式を整える。

必要ならfrontmatterも付ける。

「……面倒くさいな」

そこで、ふと思った。

写真を撮ったら、そのままMarkdownになればいいんじゃないか。

スマホはAndroidだ。

自分が使うためだけのアプリなら、別に万人に受ける必要もない。

Androidアプリなんて作ったことはない。

コードも書けない。

それでも、自分が欲しいものを自分で作るだけなら、やってみてもいい。

こうして、SecondBrainCameraの原型が始まった。

最初に作った機能は、今と比べれば驚くほど単純だった。

カメラで撮影する。

Geminiに読み取らせる。

Markdownにする。

Obsidianに保存する。

それだけだった。

初めて「生き返った」と思った

最初のテストで、カメラで撮影したものがMarkdownになった。

その瞬間、少し大げさかもしれないけれど、本当にそう思った。

「手帳とメモが生き返った」

紙に書いたものは、その紙がどこにあるかを覚えていなければ見つけられない。

何年も前の手帳なら、どこにしまったかさえ分からなくなる。

でもMarkdownになれば、Obsidianの中に残る。

スマートフォンからでも、パソコンからでも見られる。

必要になったときに検索すればいい。

つまり、全部を覚えておかなくていい。

忘れていい。

これは、僕にとってかなり大きかった。

人間は、何もかも覚えておく必要なんてない。

「あのとき何を考えていたっけ」と思ったら、後から取り出せればいい。

「昔読んだ本で、何か気になった言葉があったはず」と思ったら、検索すればいい。

「以前、同じようなことを考えていなかったか」と思ったら、自分が残してきた記録を探せばいい。

忘れても、なくならない。

それだけで、少し安心できる。

そして、面倒くさいことが次々と見えてきた

最初はカメラだけだった。

でも使っていると、当然のように次の「面倒くさい」が見えてくる。

PDFも、結局あとから読み返したり、必要な部分を手打ちしたりするのが面倒だ。

音声もそうだ。

思いついたことを話して残せれば楽なのに、一度文字起こしをして、その結果をコピーして、また別の場所に貼り付ける。

その一手間が面倒だった。

なら、音声もそのままMarkdownにすればいい。

PDFもそのまま渡せばいい。

メモを書いた後に、毎回タイトルやタグやfrontmatterの形式を考えるのも面倒だった。

そもそも、メモを書くときに「後で整理しやすいように書こう」と考え始めると、メモを書くこと自体が止まってしまう。

だから、一括処理できるようにした。

自分で作ったMarkdownを、あとからまとめて整えればいい。

書くときには、何も考えなくていい。

それから、検索も欲しくなった。

カスタムプロンプトも欲しくなった。

ホーム画面からすぐ撮影できるウィジェットも欲しくなった。

そうやって、一つずつ「これも面倒だから」を潰していった結果、最初はカメラだけだったアプリが、少しずつ今の形になっていった。

現在は、撮影や画像・テキスト共有からのMarkdown化に加えて、音声入力、PDF、frontmatterのテンプレート、一括フォーマット、検索、カスタムプロンプト、ホーム画面ウィジェットなどを備えている。

でも、最初から「たくさんの機能を持ったアプリを作ろう」と考えていたわけではない。

全部、自分が面倒だったからだ。

古いパソコンと、AIに書いてもらうコード

当然、開発は順調ではなかった。

そもそも僕はAndroidアプリを作ったことがない。

完全な素人だった。

AIにコードを書いてもらい、それをAndroid Studioに入れて、実機で動かして、エラーが出たらまた調べる。

そんなことを繰り返した。

しかも、使っていたパソコンは古かった。

Android Studioがよくフリーズする。

再起動する。

また作業する。

またフリーズする。

調べながらコードを直そうとしているところで固まる。

再起動する。

そして、また最初からやる。

「アプリを作る」ということより、「アプリを作るための環境を維持する」ことのほうが苦痛なんじゃないかと思ったこともある。

さらに、開発途中で「Claude×Obsidian」の方法はClaude Proプランからでないと使えないと分かったときには、本気で「もうやめようかな」と思った。

それでも続けた。

なぜなら、一度Markdownになった情報が増えてくると、もっと欲しくなったからだ。

もっと楽にしたい。

もっとたくさん集めたい。

もっと過去の自分の記録を残したい。

そう思うようになっていた。

AIにコードを書いてもらう開発も、決して魔法ではなかった。

むしろ、途中で痛感したのは、設計方針と土台を最初にしっかり作っておかないと、後からの修正がとにかく面倒になるということだった。

AIに「これを追加して」と頼めば簡単に機能が増えるように見える。

でも、アプリの中で一度作った仕組みは、別の機能とつながっている。

一つを直せば別のところに影響する。

だから、作り始める前に「このアプリは何をするものなのか」を自分自身がちゃんと決めておく必要があった。

これは、今回の開発でかなり身にしみた。

本当に面白かったのは、その先だった

ここからは、アプリを作る前には想像していなかった話だ。

ある日、過去の手帳やメモを引っ張り出して、次々と撮影していた。

一枚。

また一枚。

そして、次。

MarkdownになったものをObsidianに入れていく。

最初はただ、昔のメモをデジタル化しているだけだった。

でも、しばらくすると、気になる言葉が出てくる。

「あれ、この言葉、前にも書いていたな」

一度や二度ではない。

別の時期のメモにも出てくる。

別の出来事について書いているのに、なぜか同じようなところに引っかかっている。

それまで別々の出来事だと思っていたものが、少しずつつながってくる。

すると、面白いことが起きる。

自分がどんなことを考えているのか、その「結果」ではなく、「根っこ」が少しずつ見えてくる。

なぜ、これが気になったのか。

なぜ、この言葉を残したのか。

なぜ、この出来事に引っかかったのか。

なぜ、同じようなことを何度もメモしているのか。

そこには、自分でも普段は意識していない価値観がある。

倫理観がある。

ものの見方がある。

自分が何を大切にしているのか。

何を嫌うのか。

何に違和感を覚えるのか。

何を面白いと思うのか。

そして、あるときふと気づく。

「ああ、だから自分は、こういうものを気にしてメモしてきたのか」

これは、単なるOCRではなかった。

昔の自分が残した記録を、もう一度自分のところへ取り戻すことだった。

メモを書くことと、メモを整理することを分けたかった

僕は今でも紙のメモ帳が好きだ。

筆記具にもこだわる。

紙のサイズにも、色にも、持ち運び方にも悩む。

だから、紙をやめようとは思っていない。

むしろ、これからも紙には書くと思う。

変わったのは、その後だ。

以前は、紙に書いたものをどう保管するかまで考えなければならなかった。

何を書いたか分からなくなる。

どこにあるか分からなくなる。

後から探せない。

だから、「ちゃんと整理しておかなければ」と思う。

でも、整理しようとすると面倒になる。

面倒になると、書かなくなる。

それでは本末転倒だ。

だから、書くことと、整理することを分けた。

思いついたら書く。

気になったら撮る。

話したければ話す。

PDFなら、そのまま渡す。

体裁は後でいい。

タグも後でいい。

必要なら一括で整えればいい。

自分で手打ちしたMarkdownでさえ、後からまとめてfrontmatterを付けられる。

「どう保存するか」を考えるために、今この瞬間に書きたいことを諦めなくていい。

それが、このアプリを作って一番変わったことかもしれない。

デジタル化したかったわけではない

振り返ってみると、僕は紙をデジタルにしたかったわけではなかったのだと思う。

本当に欲しかったのは、もっと単純なものだった。

残したいと思ったものを、残すことに集中できる環境。

紙なのか。

音声なのか。

写真なのか。

PDFなのか。

そんなことはどうでもいい。

「これは残しておきたい」と思った瞬間に残せればいい。

そして、その記録が増えていけばいい。

検索できればいい。

後からつながればいい。

必要なときに、過去の自分を呼び出せればいい。

そう考えると、紙とデジタルの境界そのものが、だんだんどうでもよくなってくる。

紙に書いたものも、自分の知識になる。

スマートフォンで撮ったものも、自分の知識になる。

声で残した独り言も、自分の知識になる。

読書中に撮った一ページも、自分の知識になる。

そのすべてが、同じ場所に積み重なっていく。

そして、ある日その積み重なったものを検索すると、過去の自分が今の自分に話しかけてくる。

「あのとき、こんなことを考えていたよ」と。

これは、万人のためのアプリではない

別に、万人に使ってほしいとは思っていない。

メモなんて取らない人もいる。

紙なんて必要ない人もいる。

AIに整理してもらうことに興味がない人もいる。

それでいいと思っている。

このアプリを使ってほしいのは、メモが好きな人だ。

自分の内省を大切にする人だ。

思いついたことを残しておきたい人だ。

本を読んでいて、たった一行に引っかかってしまう人だ。

誰かの言葉を聞いて、「これ、何か気になる」と思ってしまう人だ。

自分の考えを後から振り返りたい人だ。

そして、何より、自分のコモンプレイスが尋常ではない速度で膨らんでいくことを、ちょっと面白いと思える人。

そういう人が使ってみて、

「なるほど。これは楽だ」

と思ってくれれば、それで十分だと思っている。

忘れていい

僕は、もっとたくさんのことを覚えられるようになりたいわけではない。

むしろ逆なのかもしれない。

忘れていいようにしたい。

昔の自分が何を考えていたのか、全部覚えている必要はない。

昔読んだ本の内容を、全部覚えている必要もない。

何年前に何を思ったのか、全部覚えている必要もない。

その代わり、必要になったときに取り出せればいい。

手元に残っていればいい。

だから、書く。

撮る。

話す。

残す。

そして忘れる。

忘れても、必要なときには戻ってこられる。

それは、記憶を増やすこととは少し違う。

自分の人生から、こぼれ落ちていくものを、拾い直せるようにすることだ。

過去の手帳を撮影していると、ときどき、自分でも忘れていたものが出てくる。

読みたかった本。

あのときの悩み。

あのときの怒り。

あのときの希望。

途中で諦めたこと。

いつの間にか手に入れていたもの。

そして、今の自分につながっている考え。

一枚撮る。

また一枚撮る。

次々とMarkdownになっていく。

そして、点だった記録が少しずつつながって、自分でも知らなかった自分の輪郭が見えてくる。

それが、僕にとってのSecondBrainCameraだった。

アナログからデジタルへ変換するという、一番面倒なことをしなくていい。

体裁を整えるために、メモを書く手を止めなくていい。

残すために、書き方を考えなくていい。

ただ、残したいと思ったものを残す。

そして後から、必要な形にすればいい。

紙とデジタル。

記憶と記録。

過去の自分と今の自分。

その境界を、少しずつ消していく。

僕が作りたかったのは、そんなアプリだった。

もし、あなたの机の引き出しにも、昔の手帳やノートが眠っているなら。

そこには、今では忘れてしまった「昔の自分」が、まだ残っているかもしれません。

SecondBrainCameraは、そんな記録をもう一度、自分の手元に戻すために作りました。

アナログの手帳やノートを捨てる必要はありません。
書くことも、紙を選ぶことも、ペンを持つことも、これまで通り楽しめばいい。

ただ、その中身だけは、いつでも取り出せるようにしておけるように。

▶ Google PlayでSecondBrainCameraを見る

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